2008年03月30日
札幌キリスト福音館にて

大きな社会問題になっていただけに間違えられている感じで「おまわりさん」がときどきパトロールに来ていました。普通の巡回だったのかもしれませんが



夢は新会堂で「ゴスペルライブ」、併設の喫茶店でミニライブ、地域の方々に気軽に来て安らげる所、直売所も?ホスピス?
叫び祈り続けよう!
チャペルの今年のテーマソング「祈りは聞かれる」
主はわたしのこーえにー みみをかたむけー 主はわたしのねがいをー ききとげてくださるー 祈りはきかれるー 叫び続けようー 祈りは聞かれるー それはかならずおーこるー
主を信じ続けよう すべてをゆだねてー かならずおーこる おくれることはない
2008年03月22日
今日は受難日
今日は「受難日」イエス・キリストが十字架にかけられた日を記念しています。(つけられたと言うよりも自ら十字架の道を選ばれたと言っても良いでしょう)
昨日は、あの有名な「最後の晩餐」とそこでイエス・キリストが弟子たちの足を洗ったことを記念した「洗足の木曜日」でした。
今日、福音館において「洗足式」が行われ、家内と一緒に行ってきました。どうして神の御子イエス様が足を洗わなければいけなかったのでしょうか?どう意味が有り、何を伝えたかったのでしょうか、私たちと何の関係があるのでしょうか?
その当時足を洗うことは、身分の低い者の仕事の一つでした。
「わたしは仕えられるために来たのではなく、仕えるために来たのです」と言われたイエス様は、自ら「神としての上着を脱ぎ」弟子たちの前に膝をつき、旅で汚れた(人生の旅で汚れた私たちの罪深さ)足を自ら洗いました。私たちはこの姿に心が震え感動せずにはいられません。
人は自分の心を埋めるため努力し、相手を非難し傷つけてしまいますが、埋まらず葛藤し落胆し絶望します。
わたしの心を埋め満たしてくれるのは、ひざまずき足を洗うへりくだったイエス様の愛だけです。
その事を通して「あなたがたも互いに洗い合うべき」ことの祝福をイエス様が自ら模範を示されました。
今日は牧師先生に足を洗って頂き、 本当にイエス様が「私の愚かさ、醜い自己中心の心の汚れ」をいつも洗い続けておられることに感謝せずにはいられませんでした。
私も兄弟姉妹の足を「仕えさせてください」との思いで洗わせていただきました。本当に感謝な一日でした。ハレルヤ!アーメン!
昨日は、あの有名な「最後の晩餐」とそこでイエス・キリストが弟子たちの足を洗ったことを記念した「洗足の木曜日」でした。
今日、福音館において「洗足式」が行われ、家内と一緒に行ってきました。どうして神の御子イエス様が足を洗わなければいけなかったのでしょうか?どう意味が有り、何を伝えたかったのでしょうか、私たちと何の関係があるのでしょうか?
その当時足を洗うことは、身分の低い者の仕事の一つでした。
「わたしは仕えられるために来たのではなく、仕えるために来たのです」と言われたイエス様は、自ら「神としての上着を脱ぎ」弟子たちの前に膝をつき、旅で汚れた(人生の旅で汚れた私たちの罪深さ)足を自ら洗いました。私たちはこの姿に心が震え感動せずにはいられません。
人は自分の心を埋めるため努力し、相手を非難し傷つけてしまいますが、埋まらず葛藤し落胆し絶望します。
わたしの心を埋め満たしてくれるのは、ひざまずき足を洗うへりくだったイエス様の愛だけです。
その事を通して「あなたがたも互いに洗い合うべき」ことの祝福をイエス様が自ら模範を示されました。
今日は牧師先生に足を洗って頂き、 本当にイエス様が「私の愚かさ、醜い自己中心の心の汚れ」をいつも洗い続けておられることに感謝せずにはいられませんでした。
私も兄弟姉妹の足を「仕えさせてください」との思いで洗わせていただきました。本当に感謝な一日でした。ハレルヤ!アーメン!
Posted by 栗沢キリスト教会 at
01:05
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2008年03月16日
「棕櫚(シュロ)の主日」
「棕櫚(シュロ)の主日」
新約聖書ルカの福音書19章28節~38節
イエス・キリストがエルサレムに入城した日を記念としています。
ヨハネの福音書には、「祭りに来ていた大勢の人の群れは、・・・・
しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。・・」ことから
受難週が始まる日曜日を「棕櫚の主日」と呼ぶようになりました。
でもなぜ入城のために乗ってきたのが「ロバの子」なんだろう?
なんと旧約聖書ゼカリヤ書9章9節「・・・・見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和でロバに乗られる。」 旧約時代にイエス・キリストが救いのために王として来られることが書かれているなんて不思議ですね!
イエス・キリストがエルサレムに着いてすぐに神殿に行かれ、商売人を追い出し、宗教的腐敗をきよめられました。「わたしの家は、祈りの家で
なければならない」つまり神の家は神に出会う場所、みこことばが語られる、聞く場所であると語っています。
エルサレム入城の時に流された涙、神の出会いの場所を「自分の利益」「商売による神に対する無関心」などにしていないだろうか?
同時に私たちが集まる教会・集会の場所がイエス・キリストと出会う
大切な場所なんだな~。
新約聖書ルカの福音書19章28節~38節
イエス・キリストがエルサレムに入城した日を記念としています。
ヨハネの福音書には、「祭りに来ていた大勢の人の群れは、・・・・
しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。・・」ことから
受難週が始まる日曜日を「棕櫚の主日」と呼ぶようになりました。
でもなぜ入城のために乗ってきたのが「ロバの子」なんだろう?
なんと旧約聖書ゼカリヤ書9章9節「・・・・見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和でロバに乗られる。」 旧約時代にイエス・キリストが救いのために王として来られることが書かれているなんて不思議ですね!
イエス・キリストがエルサレムに着いてすぐに神殿に行かれ、商売人を追い出し、宗教的腐敗をきよめられました。「わたしの家は、祈りの家で
なければならない」つまり神の家は神に出会う場所、みこことばが語られる、聞く場所であると語っています。
エルサレム入城の時に流された涙、神の出会いの場所を「自分の利益」「商売による神に対する無関心」などにしていないだろうか?
同時に私たちが集まる教会・集会の場所がイエス・キリストと出会う
大切な場所なんだな~。

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23:13
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2008年03月16日
受難週
「受難週?」え!?何が起こるの?イエス・キリストの復活(イースター)前の1週間を受難週と言います。
イエス・キリストがどんな1週間をたどったか、そこにどんな意味があるのか、自分と何の関係があるのかもう一度考える1週間でありたいと思います。
3月16日(日) 「棕櫚(しゅろ)の主日」
新約聖書 ルカの福音書 19章28節~38節
この箇所を読んで後で感じた事を書き込みます。
イエス・キリストがどんな1週間をたどったか、そこにどんな意味があるのか、自分と何の関係があるのかもう一度考える1週間でありたいと思います。
3月16日(日) 「棕櫚(しゅろ)の主日」
新約聖書 ルカの福音書 19章28節~38節
この箇所を読んで後で感じた事を書き込みます。
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07:55
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2008年03月11日
「幸せな家庭1」の番組は良かった!
キリスト教国「韓国」が衛星放送とインターネットを媒体として世界に福音を伝えているキリスト教番組。日本CGNTVのセミナーで「幸せな家庭1」を観ました。淡々とした語り口ですが、身近な事で分かりやすく例えを挙げ、時にはユーモアで笑わせ、こころ暖まりました。
一度観る価値はあります。 http://japan.cgntv.net/ ※韓国語(日本語字幕あり)

一度観る価値はあります。 http://japan.cgntv.net/ ※韓国語(日本語字幕あり)

2008年03月04日
聞き逃しそうでもとっても大切な「ラジオ番組」
実質2分あるかないかのショートラジオ番組ご存じですか?
月曜日~金曜日 HBCラジオ(北海道では)Am11時24分~
「金子耕弐のファミリートーク」
あなたの家族・家庭を応援するとっても心温まる、時には
心が痛く反省させられ、そして勇気と希望を与えてくれる番組です。
たくさんの情報・物質が簡単に手に入る昨今、短く聞き逃しててしまい
そうになる「ショートラジオ番組」
きっとあなたの心の宝になるはず
著書に「家族に贈るとっておきの話」などがある。
月曜日~金曜日 HBCラジオ(北海道では)Am11時24分~
「金子耕弐のファミリートーク」
あなたの家族・家庭を応援するとっても心温まる、時には
心が痛く反省させられ、そして勇気と希望を与えてくれる番組です。
たくさんの情報・物質が簡単に手に入る昨今、短く聞き逃しててしまい
そうになる「ショートラジオ番組」
きっとあなたの心の宝になるはず

著書に「家族に贈るとっておきの話」などがある。
Posted by 栗沢キリスト教会 at
23:11
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